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名前と無いものねだり

価値観・思考

前の記事はこちら↓

今回は自分の本名について思っていることを書いてみたいと思います。

僕の名前について

名前と性別

僕は、音を聞いても、漢字表記を見ても、多くの人が「女性の名前かな」と想像するであろう名前をしています。たぶん。

その名前について、
子どもの頃は好きでも嫌いでもなく、
もう少し大きくなってからはだんだん嫌いになって、
もっと大人になったら嫌いってほどでもなくなりました。

嫌いではないというより、考え方が少し変わったような感じです。

僕はしばらくの間、自分に女性っぽい名前がついていることが嫌でした。
そして、その名前自体にも嫌な印象を持っていました。

でも今は、嫌なのは名前についての女性/男性っぽさという概念そのものだという事に気づきました。
要はジェンダーが嫌いなのであって、自分の名前そのものが嫌いなわけではないっぽいということです。

ジェンダーについての説明は、こちらの記事の初めの方に書いてあります↓

漢字表記や、発音したときの苗字とのバランスをみたとき、名前自体は割と好きかもしれないし、
その名前が自分に付いていることも嫌というわけではないかもしれないと思うようになりました。
名前が嫌いな時期があったので、今でも若干の違和感はあるけど、心の底から拒否するほどではない、という感じ。

僕の名前は「女の子の名前」を付けること前提で考えられたものなので、それを思うと微妙な気持ちにはなります。
まあでも、名前を考えてくれた人たちは真剣だったようなのでしょうがないと、今は思えるようになりました。

今の自分は、自分の名前を嫌いではなくなって、なんならちょっとだけ気に入っています。
そう思えるようになって良かったです。

漢字表記と読み方

僕の記憶では、漢字で表記した僕の名前を、初見で一発で読めた人はいません。
読み方が分かりづらいのです。

今はそれも含めて気に入っていますが、
読みづらい名前であることが嫌な時期がありました。

小中学生の頃は、何度も先生に呼び間違えられ、そのたびに訂正し、
訂正したのに僕は声が小さいのでまた聞き返されて不快な思いをし、
それでもまた別の時には違う先生に呼び間違えられて、
最後にはもう嫌になって訂正しなくなりました。

大学生の時は、同じ学科の友人に読み方を聞かれました。
自分の嫌いな名前を、これが自分の名前ですよと示すために、わざわざ自分の口から言わなければなりませんでした。

気分が沈んでいくのを感じながら答えると、「え~可愛いね~」と謎の褒められ現象が発生していましたが、僕は全く嬉しくありませんでした。
だってその「可愛い」って、微笑ましいとか愛おしいとか変わってるとかじゃなくて、女の子らしいって意味で言ってるでしょう?

社会人になっても似たようなことは続きますが、
名前自体が嫌いなわけではないのかもしれないと気付いてからは、
いちいち答えるの面倒だけど確かに読みづらいもんね~と思いながら、以前よりは心穏やかに返答しています。

みんな隣の芝

自分の名前に対して嫌いという感情を持たされてしまうのは、なんだか残念なことのように思います。
だったら嫌いにならない名前を付けてもらえていたら一番良かったのでは、と考えたことがありました。

中性的な名前

中性的な名前、と思われることが多そうな名前の人に、
「その名前だったら良かったなあ」と言ってしまったことがあります。ごめん。

そしたらその人は、
「小学生くらいの時に名前が理由でいじめられたから、自分の名前が嫌いだった」と言っていました。

たしかに、僕が小学生だったとき、男か女か分からない名前、みたいな理由でいじめられている子が絶対に居ました。
そうか。そうだよなあ。
中性的な名前なら悩まなかったかも、なんて思っていたのは間違っていたな。

読みやすい名前

漢字を見て思った通りの読み方をするとほぼ100%正解、という名前の人に、
「読みやすくて良いなあ」と言ってしまったこともあります。ごめん。

その人は、
「こんな平凡な名前なんて嫌だ。同じ名前の人がたくさんいるなんて自分の個性が失われたような感じがする。珍しい名前の人が羨ましい」と言っていました。

たしかに僕の名前は、同じ漢字かつ同じ読み方の人が存在するかどうか分からない程度には珍しいかもしれません。
なるほどな、名前はアイデンティティの一つでもあるもんな、と思いました。

まとめ

もしかしたら、多くの人が、
理由はそれぞれ違うんだろうけど、自身の名前が嫌いな時期があるのかもしれません。

紆余曲折ありましたが、
今の僕は自分の名前をちょっとだけ好きなので、めでたしということで。

次の記事はこちら↓

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