スポンサーリンク

幸せってなに?

葉っぱの写真 価値観・思考
《前の記事》
《次の記事》

前の記事はこちら↓

みなさんは初夢を見たでしょうか。
僕は何かしらの夢を見ましたが、内容をメモしておこうと頭の中で整理しているうちに忘れました。残念。
ちなみに、富士山も鷹も茄子も扇も煙草も座頭も七福神も、夢に出てきた記憶はありません。

どうせならこういう時に縁起が良いものを見たい、そして幸せになりたい、そういった願望を多くの人が持っているのではないかと思います。

僕も幸せになりたいという願望は常にうっすらと持っています。
でも幸せって一体なんなんでしょう。

幸せの定義

幸せを感じる瞬間を考える

まず自分自身はどんな時に幸せを感じるのか、考えてみました。

僕が幸せだなぁという感情を抱くのは、美味しいご飯を食べたとき、綺麗な景色を見たとき、朝の目覚めが良いときなどです。

日常で経験するような現象について、普段よりも美味しい・綺麗など、ポジティブな気持ちになった時に幸せを感じるようです。
僕にとって、幸せというのは主に日常の延長にあるような気がします。

幸せの価値観

何を幸せだと感じるかというのは、きっと人によって様々で、普段の変わりない日常に幸せを見出す人もいれば、非日常の経験を幸せだと感じる人もいると思います。

それから、気の持ちようや、その時の精神状態によっても変わってきそうです。
状況や価値観によって、幸せの形は変化するのです。

幸せになる方法

幸せと日常

僕の場合、周囲の環境や自身の状態が普段よりも良いときに、幸せを見出すことが多いです。
つまり、幸せという概念には、比較対象があります。
「幸せではない状態」=「普段の環境」がないと、幸せにはなれないのです。

僕は、どうも「普段の生活は幸せではない」と無意識に感じているようです。
だから、幸せになりたいという感情が生まれるのだと思います。

今が幸せだと幸せになれない

僕が思う「幸せになりたい」というのは、「常に幸せを感じていたい」ということです。

しかし、幸せである状態が常になってしまったら、それよりも良いことが起こらないと幸せを感じることができなくなってしまいます。幸せを感じる基準が上がってしまうのです。

幸せになるには、幸せになってはいけない、幸せを感じてはいけないということです。

だから「普段の生活は幸せではない」と思うようにしているのかもしれません。
いつまでも幸せになれない気がして恐怖を覚えます。

幸せでいるためには

僕が幸せになるには、幸せの定義を自分の中で変えることが必要なのかもしれません。
何かと比較して相対的に幸せを感じるのではなく、絶対的な幸せを見つけるのが、幸せでいられる近道なんだろうなと思います。

そもそも幸せになりたいなんてことを考えているからいけないのかもしれません。幸せの概念そのものがなければ、幸せについて考えることも、悩むこともありません。

どちらにせよ、答えのない問いをこれからも考え続けていくんだろうなと思います。

次の記事はこちら↓

タイトルとURLをコピーしました