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幼少期~大学時代について書くシリーズの、第2回です。
保育園の頃は、性別に関して悩んではいません。
でも世の中は、不思議でよく分からないことだらけ。
「性別」に対する理解
説明されてもピンと来ない
この頃は性別というものをあまり気にせず過ごしていました。
気にしなかったというより、よく分かっていませんでした。
もともと自分の中に性別の概念が存在していなかったからだと思います。
男の子と女の子がいるんだよと説明されても、へえそうなんだとは思いましたが、あまりピンと来ませんでした。
よく分からないけど毎日保育園に行く、よく分からないけど自分にはきょうだいがいる、よく分からないけど靴には左右がある、
そういうものと同じで、よく分からないけど性別というものがあるんだなと思っていました。
自分が女の子であることについて
どうやら自分は女の子に分類されるのだということは、周囲の大人の言動から理解していましたが、なぜ自分が女の子なのかは分かっていませんでした。
きっとこの頃から、自分のことを男だとも女だとも思っていなかったんだと思います。
だから、性別というものが分からないし、自分が女の子だと言われてもピンとこなかったのかもしれません。
「おちんちんがついていたら男の子」みたいな説明をされたことはあったと思います。
でも、たぶんそう言われても、当時の僕は、なんで?と思っていたと思います。
体のつくりに違いがあるんだということは分かったけど、だから何?
それって、えくぼがあるかどうかと、目が二重かどうかと、ほくろがあるかどうかと、何が違うの?
今なら生物学的な区別であると分かりますが、当時は知識が無さすぎて、本当に疑問でした。
性別と色
女の子にはピンクっぽいものが、男の子には青っぽいものが与えられることには、多分まだ気づいていませんでした。
人によって、なんか名札や上履きの色が違うなあと思っても、それが「性別」というものによって分けられているとは気づきませんでした。
それだけ、「性別」に興味が無かったとも言えると思います。
子どもの頃の疑問
大人に聞いても分からない
子どもの頃って、本当に分からないことが多いものです。
なんで?なんで?と大人に質問をしまくって、困らせることもあっただろうと思います。
僕は、大人に質問をしても、「そういうものだから」とか「大人になったら分かるよ」とか、曖昧な答えをされたことが多い記憶があります。
質問の仕方が下手だったのかもしれませんが、聞きたいこととは違う、ずれた答えが返ってくることもありました。
大人に聞いても納得する説明を受けられなかった、と感じることも多かったと思います。
たしかに大人になってみると、もし無邪気な子どもに質問攻めにされたら、回答が難しすぎたり、面倒だと感じて適当に答えてしまいたくなったりすると思います。
でもわざわざ質問をしているということは知りたくて聞いているのだろうから、難しいだろうけど、なるべく誠実に答えてあげたいとも思います。
大人は正しいと思っていた
当時は、「人の話は最後まで聞こうね」「大人の言うことは聞こうね」とよく言われていました。
そんなに大人のいうことを最優先とするのだから、大人の言うことはすべて正しくて、疑いようのない真実なんだと僕は認識していました。
だから、大人の言うことがよく分からなくても、言葉通りに理解しようとしました。
9の次は10だとか、ひらがなの書き順とかと同じように、性別に関することも、「なぜそういうふうになっているのか細かいことはよく分からないけど、そういうもの」なんだと覚えました。
なんで子どもには説明をしてくれないのかは分かりませんでしたが、「大人になれば分かるよ」という大人の言葉も信じていました。だから大人になればすべて自然に分かるようになるんだと思っていました。
分からなくても困らなかった
この頃はまだ、理解しようという気持ちを優先して、自分が大人の回答に納得できていないことに気づいていなかったのかもしれません。
気づいてはいたけれど、大人の言うことは正しくて信じなくてはいけないと思っていたから、反論したり、よく分からないと主張したりしてはいけないと思っていたのかもしれません。
どちらにせよ、今振り返れば、色んなことを分かったような分かっていないような状態が、ずっと続いていました。
ただ、分からないことは多かったけれど、当時は分からなくても特に困らなかったし、それなりに楽しく、のほほんと過ごしていたと思います。
つづく
次回は小学生になってからの話です。
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