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「性別を超えた愛」という表現について

愛? LGBTQ

前の記事はこちら↓

例えば同性愛をメインテーマとして描いた作品で、「性別を超えた愛」みたいなキャッチコピーがよくあると思うんですね。

でもそれって単純におかしくないですかって話です。

同性愛は性別を超えているのか?

まずは言葉の意味を考えます。

超えてるのは異性愛の方

同性愛は、同じ性別同士での恋愛なので、字面通りに考えると性別を超えていません。

超えてるのは異性愛の方です。

なぜ性別を超えるという表現があるのか、考えてみました。

なぜ「超える」と表現するのか?

やたらと性別を超えたがるのは、「性別」の意味の中に「異性愛」が含まれているからではないでしょうか。

「男性=女性を愛する」「女性=男性を愛する」という定義が隠れているということです。

その場合は、確かに「性別」の意味から離れたところ、超えたところに「同性愛」があるという考え方が出来なくもありません。

愛に性別は関係ないのか?

愛に性別は関係ない!みたいなやつもありますね。

同性愛の場合は関係ある

どう考えても、同性愛の場合は性別が関係あります。
だって恋愛対象を同性に限定していますからね。

異性愛もそうです。恋愛対象が異性のみですから。

なぜ「関係ない」のか?

先ほども書いた通り、「性別」の意味の中に「異性愛」が含まれているためなのかもしれません。
既存の「性別」の概念とは異なるものを描く時、異性愛にとどまらない・こだわらないという意味を込めて、関係ないという打消しの言葉を使いたかったのではと想像します。

ただし、そう考えたとしても、「愛に性別は関係ない」の意味は通りません。

本当に関係ないのだったら、異性愛でも同性愛でも良いのです。

愛することって素晴らしい!のか?

これも見たことがあります。これが一番謎です。

”否定されるべきもの”だからこそ肯定している?

この場合の「愛」って、大体恋愛を指してますよね。
人類愛の文脈で使われてるとは考えにくいです。

そして、こうしたキャッチコピーは、異性愛を描いた作品にはあまり見かけません。
同性愛の場合のみ、突然素晴らしいと表現しだすのです。

僕には、
「異性愛が普通で、同性愛は普通じゃない。でも、否定しちゃいけないんだよ。だって異性愛も同性愛も、愛しているってことに変わりはないもの。たとえ同性愛だとしても、人を愛することって素晴らしいね♪だから、わざとらしく肯定の表現を使っておこうね!」というメッセージに見えます。

つまり、前提として同性愛は否定されるべきものという考えが隠れているということです。

愛は素晴らしいのか?

この「愛することって素晴らしい」的なキャッチコピーは、恋愛至上主義の上に成り立っているような気がします。
恋愛をすることが正しくて良いことである、という前提がないと、なかなかこのような表現は思いつかないと思うんですよね。

恋愛感情を持つことはあっても別に恋人は欲しくないと思う人もいるでしょうし、
アセクシュアルの人もいます。

きっとこういうキャッチコピーを付ける人たちは、
「恋人が欲しくないって素晴らしい」「恋愛感情が無いって素敵」とか思わないんじゃなかろうか。

感想

「マジョリティではない」を何故かポジティブに言い換えてみようとした結果、おかしなことになったんだろうな、と個人的には思います。

誰がこれらの表現を言い出したのか知りませんが、正直意味が分かりません。

しかもその表現が広まりすぎて、
表現の裏に隠れている、異性愛を前提とした恋愛至上主義的な価値観が再生産される気がします。

嫌だなあ。

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