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【幼少期~大学時代(ノンバイナリー)】①はじめに

幼少期~大学時代

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僕の幼少期~大学時代について書くシリーズを始めます。全12回。

このシリーズは、ノンバイナリーを自認している僕が、
幼少期から大学までの自分を振り返って、それぞれの時期にあった出来事、その時の気持ち、考えていたことなどを書いたものです。

ノンバイナリー:自身の性自認やジェンダーを「男性」「女性」に当てはめようとしないセクシュアリティ。
かずきの場合は、自分のことを男性でも女性でもないと思っているし、他人に自分のことを男性とも女性とも認識されたくない。

幼少期~大学時代について

過去の自分の気持ち

僕が子どもの頃、「性別」に関して、自分が悩んでいるとは思っていませんでした。

でも、なんだか嫌だ、何で自分は女の子として居なきゃいけないんだろう、なんで自分の身体はこれなんだろう、というモヤモヤ感はずっとありました。
それはうまく言語化できない感覚でしたが、納得のいっていない感じというか、違和感というか、不快感というか、そういうものが確かにありました。

自分が女の子であるとされていることは頭では理解していたつもりですが、感覚的には理解できず、ずっと訳が分からないままで静かに混乱していました。
自分の身体の、いわゆる女性の特徴に対して受け入れられない感じがありましたが、当時の感覚としては、その拒絶感を自覚していなかったので女性の身体という入れ物がなんとなくしっくりこない、というような感覚でいました。

今振り返ると、モヤモヤした感覚を自覚・言語化できないことに対してのモヤモヤがあり、霧が晴れない状態が続いていたのだと思います。
でも、自分にとっては霧のかかった状態が通常であったため、自分が困っていること、悩んでいることに気づいていませんでした。

当時の気持ちの言語化

このシリーズは、当時の自分がうまく言語化できなかったものを、今の自分が代わりに言葉にしているものです。
当時の僕の気持ちを思い出して書いているので、今の僕とは多少考えが違う部分もあります。「~に違いない」のように断定形で書いている時もありますが、別に今の僕はそう思っていない場合もあります。

自分としては出来る限り嘘のないように書いているつもりですが、かなり昔のことなので、無意識に記憶を捏造している可能性も無くはないです。
そんなわけで、当時の自分がどこまで正確にこの文章に反映されているかは分かりません。

ただ、もし似たような悩みを抱えていた、もしくは今抱えている人にとって、この文章がほんのちょびっとでも救いになったら嬉しいです。
ひとりじゃないんだよってことです。

「性別」という表現について

シリーズ内の文章では、「性別」という言葉をよく使っています。
ここでの「性別」は、ジェンダーを指すこともセックスを指すこともあります。割り当てられた性を指していることも、性自認を指していることもあります。

ジェンダー:社会的性。いわゆる男らしさや女らしさなど。
セックス:生物学的性。これをもとに、生まれたときに医師が性別を判断する。
割り当てられた性:生まれたときに医師に判断された性。出生届の戸籍の性。
性自認:本人が自認する性。自分の意思で決めているわけではない。

こんなに多くの定義を、僕がなぜ「性別」とまとめてしまっているのかというと、
まさに、そうした様々な定義が「性別」と一言で表現されてしまう社会に悩まされてきたからです。

自分が女の子だと言われてもよく分からなかったし、女の子は可愛いものを好むと言われても可愛さに興味が無かったし、女の子には生理が来るんだと言われると不快になりました。
今考えれば、割り当てられた性と性自認の不一致や、ジェンダーの押し付けや、生物学的に女性であることに違和感を持っていたと分かりますが、当時の自分は何に対してモヤモヤしているのか分かりませんでした。

それはきっと、「性別」という言葉に様々な意味が含まれてすぎていたからだと思います。
もしジェンダーとか性自認とか、「性別」以外の言葉とその意味を知っていれば、自分が何を嫌だと感じているのか、何に理不尽さを感じているのか、もう少し理解できていたのではないかと思います。

だからこそ、あえて「性別」を使っています。
当時の自分のモヤモヤ感は、ジェンダーや性自認といった具体的な言葉ではなく、「性別」を使わないと表現できない部分があるからです。

つづく

次回は幼少期、保育園に通っていた頃の話から始まります。

つづきはこちら↓

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