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【幼少期~大学時代(ノンバイナリー)】⑨高校生2/2

幼少期~大学時代

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幼少期~大学時代について書くシリーズの第9回です。
前回に続き、高校生の頃の自分についてです。

身体への嫌悪感

生理の絶望感

身体の成長がとても嫌でした。

生理が初めて来たのは、高1の終わりだったと思います。
見たくなかった現実を突きつけられて逃げ場がないような気持ちになりました。

あの感情は絶望にも近い気がしますが、普段の生活にもともと希望が無かったので、ちょっと違うかもしれません。
この先行き止まりと書いてある一方通行の道を進んだら、暗くて前が見えない状態で、突然行き止まりの壁に強くぶつかったような感じです。

着替えの抵抗感

体育の授業の前後に、更衣室で着替えることにも抵抗がありました。
周りの女子生徒たちは、さも当然のように更衣室に入って、個室のない広い空間で下着姿になっていきます。
僕は、自分の身体を人に見られることも、”みんな女子だから同じ空間で着替えても大丈夫”みたいな雰囲気も、嫌でした。

着替えながら、胸が成長して嬉しいとか、胸を大きくしたいとか、僕には理解できない話をしている人もいました。
そんな周りの様子を見て、ああ、やっぱり身体の成長に嫌悪感を持つ自分はおかしいんだと改めて実感しました。

感情を持たないようにした

自分だけ周りと違っておかしいのなら、それがバレないように隠さないといけないと思っていましたが、
自分が女性であることへの違和感や、身体に対する嫌悪感は、中学生の頃よりも大きくなっていて、そういう自分の感情を見て見ぬふりをするのがつらくなってきていました。

だから自分を守るために、無意識に自分の感情を殺すようになりました。
嫌だとか不快だとか、そういう感情を無くして、何も考えないように、何も感じないようになっていきました。ついでに嬉しいとか楽しいとかいう感情も無くなりました。
そして自分自身の気持ちが、よく分からなくなりました。

将来が見えない

社会に出る想像ができない

高校3年生になると、卒業後の進路を考えなくてはなりません。
僕には、就職、専門学校、大学など、大きくいくつかの選択肢がありました。

でも、好きなことも、やりたいことも、なりたいものも分からなかったし、
なにより自分が「女性」として社会に出る想像ができませんでした。

自分は社会に存在しないべきだと思った

僕は当時、男性でも女性でもないという性自認が存在することを知りませんでした。
他の多くの人と同じように、性別は男性と女性の2つだけだと思っていました。
そう教わってきたし、そうでなくても良いとか、そうでない人がいるとかは、誰も教えてくれませんでした。

だから、自分のような”女性でいるのが嫌な女性”は、存在しないべきだと思っていたのです。徹底的に女性を演じて社会に出るしか、生きる方法はないと思っていました。
でも、自分が女性として社会人をしている姿は全く想像できませんでした。
死ぬと思っていたわけではありませんが、どんなに考えても、将来の自分が存在する想像ができないのです。

バイト禁止の学校だったので働いたことはありませんでしたが、仕事というものに対しては、うっすらとなんとなくのイメージはありました。
でも自分自身の将来だけは、そこだけぽっかりと穴があいているように、何も見えませんでした。

大学に行くことにした

社会に出たくなくて、就職するのはやめました。
自分が好きなことや、何に関心が向くのかがよく分からず、専門学校という選択肢も無くなりました。

四年制大学に進学すれば、4年間は社会に出なくて済みます。
僕は大学を選びました。
近くて、安くて、専門的な勉強というよりも色んなことを広く学べるところがあったので、特に学びたいことがない自分でもここなら入れるかも、と思って受験をし、無事に合格しました。

女子大であることに当時は抵抗がありましたが、他の大学と比較して全体的に自分に合いそうだったので、そこでいっかと決めました。
結果的には女子大で正解だったなと思うので、消去法で選んだ進路でしたが、良い判断だったと思います。その大学を勧めてくれた高校の先生に感謝。

つづく

次回からは、大学生時代の話になります。

つづきはこちら↓

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