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教科書や参考書など、
コラムやポイントなどを枠で囲って目立ちやすくしているタイプの文章がありますね。
僕は昔から、そういう大事な部分を飛ばしがちです。
教科書や資料を読む
文章を読み始める
例えば、参考書などで、ある項目を説明する文章が書かれているとします。
そして、ページ中に「ここがポイント」等と書かれた枠があることを想定します。
あの枠の中って、どのタイミングで読めばいいんでしょうか。
きっと初めに読むことは想定されていないはずなので、僕はいつも本文から読み始めて、枠の中を読まないまま、次のページに進んでしまったりします。
気づいたら読み忘れている
枠の中は、どう考えても大事なところなのです。
本文よりも目立つように枠で囲って、文字の大きさや色を変えたりして、わざわざ覚えるべきポイントだということを示しています。
でも僕は、数ページ読み進めた後、そういえばと思い出し、やっと枠で囲まれたポイントを読んだりします。
その項や章を読み終わるまで、枠の存在を忘れていることもあります。
なぜ飛ばすのか?
文章を続けて読みたい
前回の記事にも「本を読むときには一気に読みたい」と書いたのですが、
僕はどうも、文章を読み始めたら、明確な区切りのあるところまで途切れることなく読み切りたいようです。
一方、図や写真の場合は、図を確認してまた文章に戻るという読み方をすることが出来ます。
なぜ枠で囲まれた文章だと同じことが出来ないのか、考えてみました。
おそらく、図は本文の補足的な内容であり、図の情報を取り入れることで本文と併せて情報が完成するのに対して、
枠で囲まれた文章は、本文の補足ではなく、別の独立した文章であると捉えているからです。
「本文→補足の図→本文」であれば問題なく読み進められるのですが、
「本文→枠の中の文章→本文」だと、2種類の別の文章を行き来している感覚になってしまうのだと思います。
そのため、本文を読み終わってからでないと、枠の中の文章を読み始められないのです。
目立ちすぎている
そもそも、枠で囲まれたあの場所は、目立ちすぎています。
だからこそ、目に入らないのです。
どういう事かというと、
ページを開いたとき、僕の脳はそのページ全体のうち、枠に囲まれた部分ではなく本文をメインと認識します。
そして、逆にそれ以外の部分はメインではない異質なものであると判断しているのです。
本文と同じ文字色・文字サイズで、目立たずにひっそりと薄くて細い線の枠に囲まれている程度であれば、もしかしたら目に入るのかもしれません。
しかし、重要な情報であると一目で分かるよう、目立つ書き方をされているため、
見た瞬間に不純物扱いをされてしまっているのです。
人間の脳は厄介です。
まとめ
皆さんは、似たようなことはないでしょうか?
気づかないうちに大事なものを見落としていること、これまでもこれからもありそうで怖いです。
僕に出来ることは、瞬間的に判断された要・不要の情報だけに頼らず、
まずは見えたもの一つ一つをきちんと見ることだと思います。
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