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幼少期~大学時代について書くシリーズの第6回です。
今回は中学生編の前編です。
中学生の自分にとって、性別には理解不能なことが多すぎる。
でもそう感じているのは自分だけだと気づき、違和感を口に出してはいけない、違和感を持っていることを隠さなくてはいけないと思うようになる。
制服が嫌だった
小学生の頃は色が違っても形は同じだった
中学生になると、性別の区別が明確になっていきます。
特に顕著なのが、制服です。
小学生の頃は、裁縫セットも、ランドセルも、持ち物の形は大体みんな同じで、色や模様が違うだけだった気がします。
学校指定の衣服は体操着だけで、それは性別関係なくみんな同じものでした。
制服は男女で形が違う
でも制服は、性別によって全く違う形でした。性別で服装を変える理由が分からなくて、納得いきませんでした。
それに、自分が女子だということが未だにピンと来ていないのに女子の制服を強制されることにも、
好きでも何でもないスカートを履かなければいけないことにも、違和感がありました。
長い時間着続ける必要があるのに、それが着たくない服であるというのはなかなかに不快なものです。
それでも、周りと違うことをしてはダメなんだろうなと思っていたし、目立ちたくなかったし、
制服を着ないという選択肢は用意されていないことも分かっていたので、我慢して制服を着て学校に行っていました。
自分がおかしいんだと思い始める
周りが性別の区別を肯定している
周りの同級生たちは、なんだか性別を区別することを肯定しているように見えました。
小学生の頃は、先生に言われた通りに男女で分かれて並んだり、渡されたカタログから物を選んだりといった受け身での行動が多く、
性別の区別に関して、同級生は肯定というより許容をしているようにも見えていたのですが、
中学生になったら、雑談の中で、男はこう、女はこう、という話で盛り上がっていました。僕は、周りの同級生が、性別の明確な区別を積極的に肯定し始めたと感じました。
なぜ肯定しているのか考えた
なんで?
なんで肯定してるの?
性別が理由でこんなにも色々なことが区別されているのに、こんなに変なことが起きているのに、おかしいと思わないわけがない。
じゃあ、この状況がおかしいと思いつつも、みんなすごく無理をして大人の言うことに合わせているということ?
大人に言われたことに反発しないだけでもだいぶ頑張ってるのに、さらに自ら肯定する姿勢を見せるだと?他のことに対しては人の話を聞かないことも多いくせに、性別に関することにだけは、あまりにもおとなしく従いすぎでは?
まさか、そもそも性別での区別をおかしいと感じていない?
だって、本心で「男はこう」「女はこう」と言ってるように聞こえる。嘘を言っているようには感じない。
”周りではなく自分がおかしい”という答えが出る
……あー。そうかも。
いや、薄々そうかもとは思っていたけど、本当にそうなのかも。
性別に関するいろいろなことに違和感を持ってるのは自分だけなんだ。
つまり、周りじゃなくて、自分がおかしいんだ。
そうすれば説明がついてしまう。
制服をおかしいと言う人が誰もいないことも、「もっと可愛い制服が良かった」とかいう声が聞こえることも。
周りにバレないように振舞うことにする
なるほどなるほど。納得。納得したことなら覚えられる。
自分の考えはおかしい。自分の考えがおかしい。覚えよう。
ということは、制服の男女分けとその強制を自分が不満に思っていることは、周りに言ってはいけないんだろうな。変な奴だと思われると、過ごしづらくなる。
それで、やっぱり周りのみんなと同じように、”女子”として振舞わなきゃいけないんだな。
頑張らなきゃ。
つづく
次回は中学生編の後編です。
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