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幼少期~大学時代について書くシリーズの最終回です。
大学と社会の差
大学は楽しかった
大学生活は楽しかったです。
大変なことも嫌なこともたくさんありましたが、全体的に充実していました。
「人生楽しい」と初めて思ったのは、大学生のときです。
人生というのはちょっと大きい言葉ですが、自分の存在の根本的なところにある、とても重要な言葉であるとも思います。
生きていることを前向きに捉えられた
人生というものに対して、それまで楽しいなどと思ったことはありませんでした。
食べ物が美味しくて嬉しいとか、くだらないことをしゃべって面白くて笑うとか、そういう目の前のことに対して明るい気持ちになることはありました。
でも生きるという行為に対して、楽しいとか楽しくないとかを感じる対象であると考えたことがありませんでした。
ただ時間が過ぎるのを待つことが、生きるということだと思っていました。
大学生になり大きく環境が変わったことで、
一時的にでも「生きていてよかった」と感じ、人生そのものを初めて肯定的に捉えることが出来たのは、自分の中でとても大きな出来事でした。
社会では女性扱いをされる
女性として働く
大学生になってから、アルバイトを始めました。
バイト先では、僕は女性として扱われます。
当時の履歴書には性別欄があったから書類不備にされないように女性って書いたし、通っているのは女子大だし、
その時は胸を潰す下着はしていなくてブラジャーだったし、胸でかいし、
そりゃあ女性だと思われるでしょう。
女子大で過ごすのは楽しかったのですが、最終学歴が”女子”大なので、
履歴書の性別欄が無かったとしても、女性と判断される(可能性がものすごく高い)のが女子大の欠点なんですよね……
その状況で女性と判断しない方が不思議なので、女性と思われるのは分かるのですが、嫌なものは嫌でした。
自分が大きく誤解されているような気持ちになります。
「女性」扱いと「人間」扱いの違い
普段はスカートを履きませんでしたが、
ハロウィンの時期にスカートを履いて「”女の子”の仮装」をして大学に行って、着替えるのが面倒でその格好のままバイトに行ったことがあります。
今日いつもと服装違うねと言われて、女の子の仮装ですと答えたら、「なんで?(もともと)女の子じゃん」と言われました。
ああ、そうだった。ここでは完全に”女の子”だと思われてるんだった。
いや、分かりますよ。人間が服着て「人間の仮装した」とか言ってたら、僕だって「元から人間じゃん」って言いますよ。そういうことでしょ。
でもなー。なんかなー。うーん、悪口言われてるわけじゃないんだけどさー。気分は良くないなー。
大学では、「女の子」ではなく「かずき」だと思われていたので、
”普段こういう格好をしない人が、社会でいうところのいわゆる女の子らしさに寄せた格好をしている”という仮装の意図が伝わっていた気がしますが、
女の子だと思われていると、どんな服を着ていようが”女の子”という枠の中から出られず、仮装にならないんですね。
大学の過ごしやすさ
飲食店のホールをしていて、髪が短かったので後ろから「お兄さん」と声をかけられて、
女性だと思われてなくて嬉しいなと思いながら反応したら、「女の子だったのか、ごめんね」と言われてちょっと落ち込んだこともあります。
こういう、誰も悪人はいないけど不愉快になる現象って、
なんだかとても残念で、どうしようもない気持ちになります。
バイトをしていると、
大学の中では人間だと思われてるけど、結局社会では女性なんだな、と実感することが多くありました。
そう考えると、大学というのはある種社会から切り離された空間といえるのかもしれません。
だからこそ過ごしやすかったのだと思います。
まとめ
幼少期から大学時代まで、ノンバイナリーの僕が当時考えていたことを書いてきました。
保育園に通っていた頃から高校生の頃までは、
ずーっとモヤモヤモヤモヤしていて、性別というものに対して良い印象を持ったことはあまりなかったと思います。
大学が一つの転機でした。
近いからという理由で思い切って女子大に行ってみたら、とても過ごしやすく、初めて人生が楽しいと思いました。
その時期に、やっと「男性」「女性」以外の概念や言葉を知りました。
長い間抱えていたモヤモヤの代わりに、自分の正体が分かったようなすっきり感・安心感を得ましたが、
女性とされる違和感と身体への嫌悪感も、もれなくついてきました。
……というのが今回のシリーズの簡単なまとめです。
今後、就活や大学卒業後に社会人になってからの話も書きたいと思っています。
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