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「ノンバイナリー」を重要視する理由(1/2)

価値観・思考

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ノンバイナリーであると自認している。
そして、他人から女性だと判断されたり、女性扱いを受けたりすると、
嫌な気持ちになったり、モヤモヤしたりする。

自分のことを他人に勘違いされるのは、嬉しいものではない。
でも身長とか年齢とか性的指向は、相手が間違って認識していても基本的には大して嫌ではない。
それが、性自認に関わる部分になると不快感が増してしまう。

なぜなのか考えた。

子ども時代を振り返る

知識

子どもの頃の記憶はあんまりない。

でも、仲の良い友達を除いて、
周りの同年代の人たちとあんまり話が合わねえなあーって思った記憶ならある。

例えば、流行りのゲーム・漫画・テレビ・音楽などの話題になると、話についていけなくなる。
自分が流行りのものを知らなかったか、全く興味が無かったからだ。

ゲーム機は持っていなくて、
ちゃんとプレイしたことがあるのは、上のきょうだいのを借りて使っていたどうぶつの森だけ。
対戦ゲームは面白いと思ったことがあまりない。

家には、水の森綺憚とか動物のお医者さんとか昔の漫画があって、それは好きだったけど、
同年代に流行っていそうな漫画は少ししか読んだことがなかったし、漫画雑誌を買う家でもなかった。漫画雑誌というものをそもそも知らなかったかもしれない。

テレビは見た記憶が殆どない。
特に小学校高学年以降は、学校のあとに習い事があって、家に帰るとニュースくらいしかやっていなかった。
学校にいる時、近くで誰かが昨日のテレビの話をしているっぽくても、バラエティもドラマも全然何にもわからなかった。タレントや俳優も本っ当に全然知らなかったし興味が無かった。
小学校の学級文集の「好きなテレビ番組」の欄には「なし」って書いた。

お笑いのネタと思われるものがクラス内で流行していても、
どういうネタなのかはなんとなく分かっても、それの何がどう面白いのか全く分からないと思ったことが何度もある。
たまにテレビでお笑いの番組がやっているのを見る機会があっても、面白いと思えないので、申し訳ないがけっこう冷めた目で見ていた。

音楽はもっと知らなかった。
友達が「ORANGE RANGEのこと、オレンジオレンジって思ってる人いそうだよね」と話していたことしか覚えていないし、
当時はオレンジレンジって誰?と思いながら適当に相槌を打っていた。

もちろん同級生が流行りのものについてしか話をしないわけでもなかったし、
同じものを面白いと思うこともあったが、
周囲の人たちと、同じ熱量と知識量で話をできることは多くなかったと記憶している。

感性

それから、話が合わないといえばデザインの好みだろうか。
何かのキャラが可愛いとか、制服が可愛くないとか、周りで話題になっていたことがあったが、
自分はそのキャラの良さが分からなかったし、制服の襟に入っているラインの本数なんてどうでも良かった。

それでも、和を乱さないために自分の意見は言わないことが正解だと思ったので、
「そう思うでしょ?」と聞かれれば「うん」と答え、
連れションに誘われれば一緒にトイレに行って、
なんとなく周囲に合わせて過ごしていた。

習い事

新体操を習っていた時期がある。結構長いことやっていた。

その時のコーチについて、いくつか覚えていることがある。

個人演技に使う曲を選ぶとき、コーチから2曲提示されてどっちが良いかと問われた。
AとBのうちBがいいと伝えたところ、
数日後にやっぱりAの方がいいと思うからこっちにしようと言われ、は???と思った。

発表会で個人演技を披露することがあった。
そのときに会場で司会が読む紹介文を提出しろと言われ、文章を考えて出した。
本番当日、文章を許可なく勝手に書き換えられたものが読まれた。
「体の柔らかさを生かした動き」が「女性らしい動き」に変えられていた。
こっちは女性らしい動きとやらをしようと思ったことなんて一度もねえんだわ。

自分の気持ちも考えも意見も、言っても否定されるだけなんだと思った。

習い事2

何年間かキャプテン的な役割をやらされたことがある。
先頭に立ったり人をまとめたりすることが得意な者ではなく、その学年で競技の成績が一番良い者という理由で。合理性が無さすぎるし誰にとってもメリットがない。
どう考えても自分には適性がなく、毎日練習に行くのが苦痛で仕方なかった。

話も趣味も合わないし別に仲良くもない年齢もバラバラなこの人たちを綺麗にまとめることなど無理である。
今やれって言われても無理。
動悸がして呼吸が浅くなって涙目になるし、社会人になってから似たような状況で実際に泣いたことがある。メンタルがぐちゃぐちゃになる。

コーチには出来ないんじゃなくてやらないだけ、と言われ続けた。
あなたの気持ちは全部わかっている、その上で言っている、と言われた。
全員の前で、半笑いで「居ない方がいいんじゃない?」と言われたこともある。

大人の言うことはちゃんと聞きましょう、なぜなら大人の言うことは正しいからですよ、
という刷り込みが馬鹿みたいに抜けない上に思い込みが激しい子どもだったので、
キャプテンをすることが心の底から嫌なのに断ることができない状況で嫌々やらされて毎日地獄のように感じる気持ちを十分わかった上で、
やる気がない、努力してない、本当はできるのにサボっている、だからお前は不要、とこの大人はへらへらしながら言ってるんだと解釈した。

出来ないものは出来ないんだよ!なんで出来ないって認めてくれないんだよ!とも思ったが、
反論しても無駄だと悟っていたし、もう疲れていたので、機械みたいに「そうなんだ」「自分ってそんなに駄目な人間なんだ」という気持ちになった。
「居ない方が」って、この世にって意味で言ってるのかも、とも思った。

自分の考えていることが、言っても言わなくても無かったことにされるのなら、言わない方がいい。
自分の意見や気持ちが無かったことにされるのなら、意見も気持ちも持たない方がいい。
そう思って、だんだん自分の意見を持たないようにしようと考えるようになった。

自分を表すもの

もともと周りに合わせてばかりで自分というものがあまり無かったというのに、
意見も気持ちも無くそうと、自分で自分に蓋をしてしまった。

自分は一体どんな人間なのか、何が好きで何が嫌いなのか、
どんな時にどんな感情を持つのか、なんにもわかんなくなった。
自分も周りもぜんぶきらい。なんにもたのしくない。

しばらくしてから、ちょっとずつ自分を再構築していった。
過去に自分で閉めた蓋をゆっくり開けて覗いて、何があるのかを探したり、
蓋の上にささやかに降り積もった何かを、目を凝らしてよく見たりした。

そうやって自分自身を構成する要素として見つけたのが、性自認である。

他にも、人をまとめるのが苦手だとか、どうぶつの森が好きだなとか、
もともと自覚していたものはあったけれど、
性自認に関しては新発見だった。

注意深く自分というものを観察すると、
子どもの頃も、大人になってからも、一貫して同じような思いを持っていた。
「自分が女とされているの、なんか嫌だな」という気持ちだ。

子どもの頃は自覚していなかった。
周りは当然のように女として扱ってくるし、
反論しても仕方なかったから「そうか」と思うことしかできず、
モヤモヤとした思いを抱えていることにすら気づけずに過ごしていた。

でも振り返ると、
幼児の時は自分のことをオレと言っていたし、
ランドセル黒が欲しいなーと思っていたし、
小学生の時の私服はズボンばかりだったし、
中学生の時は制服でスカートを履かされることが不満だったし、
高校生の時はスラックスの制服があったので履いていた。
全部、周りがイメージするであろう女の子らしさみたいなものから遠ざかりたいと無意識に思っていたからだった。

自分を再構築する過程で性自認に関して発見したときは、
「自分って何?」の答えを見つけたぞという感覚になって嬉しくなった。

自分は一体どういう人間なのか、初めて分かった気がした。

もともと周りに合わせてばかりで自分の意見を言えず、
勇気を出して意見を言ったら否定されるので何も言えなくなり、
自分で自分を意図的に埋めて消して殺して無くして、
でもやっぱり掘り起こそうと行動して、やっと自分の一部を発掘したのである。

だから自分にとって性自認はとても大切で、重要な土台で、頑丈な杭なのだ。

つづく

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