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前回の続きです。
ノンバイナリーであるということが自分にとって重要な理由
「ノンバイナリーである」ということは自分にとって重要であり、女性と決めつけられると不快に感じる。
その理由を説明するうえで、いくつか大事なポイントがあると思う。
期間の長さと、感情の強さと、回数だ。
期間
「女に分類されるのが嫌だ」というのは、
当時は自覚が無かったとしても、ずっと継続的に思い続けていたことである。
昔から好きなゲームは今も好きだし、
昔から苦手なことは今もたくさんある。
でも、そのゲームを毎日欠かさずやり続けているわけではないし、
その苦手なことに毎日直面するわけではない。
だから、物心ついたときからほぼ毎日毎日ずっと続いてきた、女とされることへの違和感というのは、
自分を構成する要素としての比重が大きいのだ。
ちなみに、どうやら同じ理由で氏名も重要だと自分は感じているようで、間違えられるとムッとする。
特に苗字は気に入っているので、漢字表記を間違えられると舌打ちしそうになる。
感情
自分の性自認に気づいて嬉しくなっていた時期に、それを人に言ったことがある。
運の良いことに、ただ「へーそうなんだね」という返事をくれた。
当時、性自認は自分という人間の中の大きな部分を占めていて、
自分を説明できる数少ない材料であり、大事な大事な数少ないアイデンティティだった。
自分の大部分を、否定せず過剰な肯定もせず、ただ受け入れてもらえた経験によって、
心が軽くなった。
自分自身という人間そのものを、初めて肯定された気さえした。
自分の気持ちや感覚は、否定されるべきものではないのかもしれないと思えた。
自分を偽らずに人と関われることがあるのかと驚いた。
その感動はとても大きく、
しばらくの間、それまでの自分では考えられないくらい行動的で明るい人間になったほどだった。
そうした経験があるからこそ、性自認は自分にとって非常に大切なものであると感じるのだ。
回数
自信を持って「自分はこうだ」と言えるものは少ない。
基本的に自信がない人間だし、今も正直自分のことがあまりよく分からないからだ。
でも性自認に関してだけは、明確に「女性ではない」と言える。
女性として扱われることによってモヤモヤとした回数が、圧倒的に多いからだ。
人生で何百回も何千回も何万回も、女性として扱われてきた。
少なくともこの社会において女性とされるものと、自分の性自認は明らかに違う。
自信を持って言える、数少ない自分のことである。
女性として扱われること
性自認が女性ではないのに社会的に女性として扱われるということは、
自分の一部を否定され続けているのと同じである。
生活するうえで所属することが基本とされている社会という組織に、
自分の席が用意されていない感覚になる。
そのたびに「またか」と思い、小さく傷つく。
一つ一つは掠り傷でも、回数が多すぎて抉れているし、もはや貫通している。
だから、もう血みどろで感覚がない、とも言えるが、
それでもやっぱり大きなダメージを受けるのだ。
性自認以外はどうなのか
年齢
年齢は、間違えられてもあんまり何とも思わない。
年齢を知られた途端に相手がなれなれしくタメ口になったり、
逆に突然敬語になったりすると、
何だそりゃ、めんどくせ、とは思うが、傷ついたりはしない。
年齢は毎年変わるものだし、数字にそこまで強い思い入れもない。
好き嫌い
食べ物の好き嫌いとか、物事の好みを誤解されていることがある。
これは、場合によっては結構嫌かもしれないが、
誤解されていること自体は、そこまで嫌でもない。
例えば、誰かが食事を作ってくれて、
「この食材苦手だったよね」と、本当は好きなものを抜いて作ってくれたとする。
え!食べたいのに!と思ってしょんぼりはするが、それは食い意地が張っているからで、
食べ物の好き嫌いを間違えられたこと自体については、嬉しくはないが、悲しいというほどでもない。
恋愛指向や性的指向
恋愛指向や性的指向について、相手が何か決めつけて会話をしてきても、
そんなに嫌だとは思わない気がする。
やーい違うよーん、とは思うし、状況によっては訂正するが、
不快というほどではない。
同じ「セクシュアリティ」という言葉でくくられる要素ではあるが、
なんというか、
性自認は自分の内に向かう矢印であって、
恋愛指向と性的指向は外に向かう矢印なので、性質が違う。
性自認をおかしいと言われるほうが、自分自身を否定された感が強い。
「性自認」は自分の核みたいなところにキュッと詰まっているけれど、
「恋愛指向」や「性的指向」はもっと外側のほうをフラフラしている。
あとは、性自認に比べてだいぶ関わりのある期間が短いし、
自分の価値観として恋愛や性愛を重要視していないことも、
不快感をあまり覚えない理由かもしれない。
なお自分の恋愛指向や性的指向は、
・恋愛対象のセクシュアリティは問わない
・でも恋愛感情って何?という感じでもある
・性的対象はよく分からない、対象がない可能性もある
といった具合だ。
性自認に関しては「女ではない」と自分の中ではっきりしているのに対して、
恋愛指向や性的指向はふわっとしているので、間違えられても嫌ではないのかもしれない。
余談
何の脈絡もなく、突然「結婚してるの?」とか「彼氏いるの?」とか聞かれることがある。
それを知って何になるんだ、と不思議に思いながら、「してない」とか「いない」とか答える。
すると、高確率で「結婚願望無いの?」とか「彼氏欲しい?」みたいな質問が飛んでくる。
これ以上話を広げられても面倒なので、「アンマリキョウミガナイデスネー」と言う。
そしたら会話が終わらせることができる。
偏見だが、いきなりそういう質問をする人には、
大真面目に自分のことを話しても、意味が通じない気がする。
だからさっさと会話を終わらせたい。
人生のパートナーは欲しいと思う。
でもそれは、「結婚」「彼氏」に興味があることとイコールではない。
恋愛感情があろうがなかろうが、性的な感情があろうがなかろうが、
一緒に生きていける人が居たら嬉しいなあという感じである。
気が合って支え合っていけるなら、複数人で一緒に生きてもいいし。
まあ、相手が一人でいわゆる男性なら、傍から見れば彼氏なのだろうし、
法的な安定を得たければ結婚という手段もあるのかもしれないが、
「結婚」は手段であって目的ではないし、
「彼氏」かどうかはパートナーが出来てみないと分からない。
だから、彼氏とか結婚とかには「興味が無い」と答えておく。
嘘ではないし、本当のことを適度にぼやかして回答しているだけだ。
あと、「彼氏いる?」に対して「いらない」の返答をたまに使う。
彼氏が欲しいわけじゃなくてパートナーが欲しいので、間違ったことは言っていない。
まとめ
自分がどんな人間なのかは、今もよく分からない。
その中で、数少ない分かっていることの一つが、性自認である。
だから、自分にとって性自認は大切で、他人に蔑ろにされると不快になる。
こんなに性別を重要視する世の中じゃなかったら、
自分も性自認のことで苦しまなくて済んだかもしれない。
過去の経験と、社会の構造と、色んなものが重なって、
「ノンバイナリーであること」は、自分にとって非常に重要なものになったといえる。
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