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自分のために頑張れない話

価値観・思考

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どうせ何かを頑張るんなら自分のために頑張りたいんだけど、
気づいたらそれができない人間になっていました。あーあ。

頑張るとは

これまで頑張ってきたこと

何かを頑張る理由ってのは色々あるものなんだと思います。
誰かを喜ばせるため、誰かを安心させるため、誰かに怒られないようにするため、自分が喜ぶため、自分が楽をするため、その他にもきっと色々。

僕がこれまでの人生で頑張ったこととして最初に思い浮かぶのは、
小中高と10年間くらいやってたスポーツですが、
その時間の大半は、自分ではなく誰かのために必死になっていたような気がします。

誰かに怒られないように、誰かの期待を裏切らないように、誰かからみて「ちゃんと」できるように。
それが結局は自分のためというか自分を守る手段でもあったのだと思いますが、

前向きに目標に向かって自分のやりたいことを頑張るというよりは、
誰かが僕に押し付けた期待や幻想を、僕が必死になって守ろうとして、その義務を果たそうとして、我慢して耐え続ける努力をしていたような記憶があります。

最初は楽しくやってたのになあ。どっからかそんな風になっちゃったんだよな。

頑張るのイメージ

客観的に見ても何かを10年続けるのはえらいと思うし、
自分でもよくやったなとは思います。

ただ、自分の中で一番パッと出てくる「頑張った」記憶がそれなので、

僕にとって「頑張る」という言葉で最初に思い浮かぶのは、
自分がやりたくなくても我慢して続けること、
他人からの精神的な攻撃を避けるために他人が設定した目標を達成する努力をすること、
それを好きでやってるかのように他人に錯覚させること、
みたいなイメージなのです。

勿論、自分のやりたいことを達成するために、
ときに苦しみながら努力することも、「頑張る」に該当するとも思います。

どうせ頑張るんなら後者の「頑張る」の方がいいので、それをやりたいんですが、
気づいたら、それができなかったんですよね。

頑張り方が分からない

自分しか得しない

やってたスポーツからやっと解放されて何年も経って、
自分の人生なのに自分の意思が反映される部分少なすぎじゃね?みたいになって、
そんなのやだー自分のために頑張るんだー!と思って、

いざ自分のやりたいことを考えたときに、
そもそも何がやりたいのか分からないし、
自分が嫌いなことはちょっと分かるけど、好きなことは分からないし、
それに何より頑張り方が分からない。

他人からの監視や圧がない状態で、どうやって頑張ればいいのか分からない。

自分のためにやることって、自分の利益にしかならないよね?
自分しか得しないことを、どうやって頑張ればいいんだろう?
誰も見てないし誰も期待してないし、上手くいかなくても誰も損しないし、じゃあ何で頑張るんだろう?分からない。

資格を取ろうと思ったときは、その勉強はできるんですよ。
勉強しなきゃ、でも難しい、辛い、脳がパンクする、でも合格したい、頑張ろうって。
なぜなら、上手くいかないと自分が損するからです。
不合格だと受験料がもったいない。そういうのがあると努力できるんだけどな。

自分のために頑張れない

自分が損しないためには頑張れるけど、
自分が得するためには頑張れない。

他人が怖くて逆らえなくて、期待に応えるため、怒られないために頑張って、
そういう不健全な状態から逃れたくて自分のために頑張ろうと思ったのに、
結局外部からのプレッシャーがないと頑張れない。

逃れたくて必死なことから
離れられないようになっていた、
ってことに最近気づいた話でした。ぐえー。

意図的に完璧主義を発動すればたぶん頑張れるんだけど、
ちょっとそれも不健全なのでやりません。

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