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一人称が定まらない話

ジェンダー

前の記事はこちら↓

今回は、一人称って難しくないですか?という話です。
難しいよね?難しいんだよ。

一人称変えようかな

今の一人称

以前、一人称について書いた記事があります。

子どもの時に当時の一人称を注意されて使えなくなり、
妥協案を探してなんとなく使っていたら、それが染みついてしまって、
別に使いたくないのにその一人称を今も使い続けている、みたいなことを書きました。

今も、「うち」という一人称は使っていて、ふとしたときに口から出てしまう。
なんかしっくりこない、と思いながら、それでもなんだか使ってしまう。
言い終わってから、あーまた使ってるな、と気づく。

あと「自分」とかも使う。
前の記事には書かなかったけれど、「うち」よりほんのちょっとだけ畏まった感じの雰囲気を出したいときに使う。
たぶんだけど(偏見っぽいけど)、普段「俺」の人が「僕」っていうみたいな感覚で、「自分」を使っている。
でもこれも好きで使ってるかというと、そうでもない。嫌いではないけど、微妙。

それで、最近、一人称を意識して変えてみようかと思ったりしたわけです。
自分が、これがいいな、この一人称を使いたいな、と思う一人称を考えることにしました。

どんな一人称にしようか

そうすると、「私」になるんですね。読み方は「わたし」です。

「私」にしようと思ったきっかけは、
メディアで知った魅力的な人たちの一人称が「私」であることと、
そのうちのひとりの言葉に影響を受けたからです。
こう書くとすごく薄っぺらで単純な動機みたいだし、実際そうかもしれない。

うわあこの人面白いな、好きだなあって人はちょいちょいいます。
そのうちのふたりが、「私」という一人称を使っていたんですね。

で、僕(この記事では自分のことを僕って書きます)は少し前から一人称変えてえなと思っていました。
「私」は有力候補で、っていうか実はそれ以外に思いついてませんでしたが、
他人が使っているのを聞いていると、「やっぱ私っていい一人称だな」となんとなく思ったりするわけです。

それでも、自分がその一人称を使うのにはなんかちょっと抵抗あるなと思っていました。

葛藤

なぜ抵抗があるのかというと、
僕が「私」を使うと周りから女性扱いされる恐れがある、と僕が思っているからです。

「どちらかというと女性が使う一人称」扱いされている「私」を、
「(周りから見て)女性であろう人間」が使うと、周りは「この人は女性に違いない!」と思い込んで、安心して女性扱いをしてくるような気がするんですね。

まあ別に一人称がどうであろうと、女性扱いは結局されるので、関係ないといえば関係ないのですが、
結果が変わらないんならいいでしょって感じでもなくて、
自分の言動によって相手の勘違いを加速させた気になって、それによって自分が苦しむことが怖いのです。

自分が気にしなければいいんですけど、それができるなら困ってないので。

「私」いいじゃん

と思っていたんですが、
前述の好きな人のひとりが、「女性だと思われたくないので、色んな髪型や服装を試したが、どんなに頑張っても女性だと決めつけられる。それなら好きなものを着ようと思った」という意味のことを言っているのを聞いて、なんか吹っ切れました。

何をしてもきっと分かってもらえないし、
自分が好きな一人称を使うと周囲は自分をもっと誤解するんだろうな、というモヤモヤごにょごにょした暗くて重い気持ちが、

完全に諦めたうえでのポジティブというか、
あ、もうどうでもいいや、どうせ分かってもらえないんだし、勝手にしよ、みたいな感じの気持ちに切り替わりました。
「気にしない」ができそうな気がしてきました。
鈍感にならないと生き抜けないってのは、とても悲しいことでもあるんですけどね。

そんなわけで、「私」という一人称を好んで使おうかなと思っています。

使い始めるのが難しい

変えることの難しさ

自分の何かを変えるのは、それなりに勇気が要ります。

僕が子どもの頃に長く関わっていた大人は、
持ち物でも髪型でも物事のやり方でも、何かを変えると、
陰で言ってるつもりなのか、わざと本人に聞こえるようになのか、
「ねえ見て見て、なんか変えてるよークスクス」みたいな言い方をする人間でした。

それは習っていたスポーツの監督兼コーチのような立場の人でした。
子どもの頃の僕は、学校と家と習い事のみという非常に狭い世界で生きていて、
それが世界のすべてだと思っていて、世界はもっと広いなんて考えたことがなかったので、
「学校の先生と親以外の大人」はみんなそういう態度を取るものだと思っていました。

だから、たとえ変えろといわれても怖くて変えられないくらい、何かを変えるのは難しいことでした。
変えるには、馬鹿にされて貶されて人格否定をされる覚悟が必要でした。

残念なことに、大人になった僕は、それをまだ引きずっています。
小さい頃の刷り込みって抜けねえから。

葛藤 その2

一人称を変えたくらいで、身近な人が攻撃してくるはずはないんですよ。
そんなことは分かっています。

でも、それとは別に、
何かを変えることに対する恐怖の感情は、自分の意思とは関係なく湧き上がってくるものです。

これまで「うち」を使い続けてきた相手に「私」を使おうとするたびに、ファサッと恐怖に包み込まれるので、直前でストップがかかります。結局「うち」とか「自分」とか言っちゃう。
なかなか「私」といい始めることができないでいます。

悪意のない相手の態度に落ち込むのと、悪意のある相手からの攻撃に傷つくのは、似ているようで違います。
さっき「相手にどう思われようと気にしないことができるかも」みたいなことを書きましたが、「相手に攻撃されても気にしない」ことはできないかもしれません。

いやいや攻撃されねえだろう、でもそれとは関係なく刷り込みが消えないんだよなあ、というところを延々とぐるぐるしています。

第一歩

とりあえず、ブログでは好きな一人称を勝手に使うことにします。

しゃべるときにしっくりくる一人称と、
書くときに使いたくなる一人称は違ったりするので、
「私」を使うとは限らないし、回によって一人称が変わったりすると思います。
なんなら同じ記事の中でも変えることがあるかもしれません。

ついでに文体も、これまではですます調で書くことが多かったですが、
そうしたりしなかったり、その時の気分で書こうと思います。

おしまい

一人称変えたいけど難しいって話でした。

僕にはブログというツールがあるのでここでは好きな一人称を使います。
こういう場があってよかったよかった。

おわりです。

次の記事はこちら↓

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