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こんな「理解増進」なら要らない

LGBTQ

前の記事はこちら↓

最近「LGBT理解増進法」が成立してしまったので、それについて思うことを書きます。
まとまった文章にしようとは思っていません。

これを読んだ人が、僕のようなことを考えている人間が一定数いるんだろうという想像をしてくれたらと思います。

僕はLGBTQのヘイトに触れすぎると体調が悪くなるので、
あんまり関連のニュースを見ないようにしていた。
でも、さすがに成立してしまったら知らないわけにもいかない。

僕自身は署名に参加したりはしたけれど、
例えば顔や名前を出して、デモに参加して訴えたり、首相と話をしたり、
そういうことをしてくれている人たちがいる。

その人たちに比べたら、僕個人の影響力なんて本当に小さい。
そんな僕が今更になって、法案が成立してしまってからこういう文章を書くのは、
これまで何もしなかったくせにと自分に対して思ってしまい、
活動を続けている人たちに対して申し訳ない気持ちもある。

でも、正直これは僕自身の気持ちの整理のために書く文章でもあるし、
ネットでなんとなくこの記事を読んだ誰かに届けば、それだけでもいいとも思う。
そして、僕みたいな人がこういう記事を書くことにどれくらいの意味があるかは分からないが、
無意味ではないことを僕は知っている。

先ほど書いたように、
僕はこれまでこの法案に関する情報をあまり得ないようにしていたので、詳しく知っているわけではない。

でも、ここ数日、発信活動を続けている人が投稿する情報を見て勉強して、
本当に全く情報を知らない人よりは、知っているつもりである。

不当な差別って何ですか。
不当ではない差別があるんですか。
その”不当ではない差別”というのは何を指すんですか。

風呂やトイレに”女性だと主張する男性”が性犯罪をするために無理やり入ってくるとか、そういうことですか。
それはトランスジェンダーであろうがなかろうが、犯罪なんで。論点がずれています。

そもそも、罪を犯そうと思っていないトランスジェンダーの人は、そんなことしないと思いますけどね。
温泉や銭湯には行けないし、外出先でトイレに入れなくて困っているトランスジェンダーの人は、たくさんいると思いますが。

学校の理解増進を阻むんですか。そうですか。
「シスジェンダーでヘテロセクシュアルが”普通”なんですよ」という教育をやり続けたいんですかね。

少なくとも僕は、学校で教わった”普通”の中に自分がいなかったから、自分は異常なんだと思っていた。本当にそう信じていた。

家庭?地域住民?
家庭でセクシュアリティを隠さざるを得ない子どもが、どれだけいると思ってる?
地域住民にセクシュアリティを知られたらどうなることかと怯えている人が、居ないとでも思っているのか?

家庭や地域が「LGBTなんか学校で教えるな」と言えば、その通りに出来るんでしょう。
そうしたいんでしょう?

そうとしか思えねえよ。

民間団体の自発的な活動は、促進しないことにしたんですか。

学校でも教えないのに?
学校にも家庭にも居場所のないLGBTQの子どもの逃げ場が、どんどんなくなっていく。

そのうちこの世に逃げ場が無くなる。
そんなことが起きてはいけないと思う。

”すべての国民”が”安心”できるようにって、何ですか。

マジョリティが、安心して差別を続けられるように、
子どもに教えないでくれと意見を言えるし、民間団体の活動も制限したからねってこと?

誰のための法案なんですかって本当に思う。
こんなの、理解増進ではなく、理解を抑制するためのものとしか思えない。

とにかく、僕はこんな法案が成立してしまって落ち込んだし、怒りたいし泣きたいし、
またか、という気持ちでもある。

失望と同時に諦めのような気持ちも生まれるけれど、
人生で諦めてしまうことはたくさんあっても、僕にとって、この問題はさすがに諦めてはいけないものだと思っている。

人権が保障されていない状態なのは、おかしい。

だから、同じように、諦めない気持ちでいる人が増えてほしいと思う。

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