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ノンバイナリーの僕が思う生きづらさ

LGBTQ

最近色々と人生に疲れていたので、ここ数ヶ月はニュースやネットからかなり離れていました。
昨日の夜ふらっとSNSを開いたら、ノンバイナリーに関してなんか議論が起こってるのを目にしました。

本当は何がどうなってるのかちゃんと知っておかないととは思いますが、
それをやろうとすると自分の精神衛生上よくない予感しかしないので、
とりあえず情報の一部にのみ触れた状態ではありますが、今自分が思っていることを書いておこうと思います。

自分の頭の中を整理して言葉にするのが、自分自身のメンタルの調子を整えるのに必要な気がするからです。
その割にはあんまりまとまってないと思いますし、以前の記事でも似たようなことを書いている気がします。

この記事は、議論について説明するものでもない(僕はちゃんと調べてないから説明も出来ない)ですし、議論に対しての僕の意見でもありません。
ただ、SNSでちらっと見えた言葉に対して、僕がふわっと考えたことを文章化しただけのものです。

これを書くのは自分のための作業です。
でも、どこかの誰かがこれを読んで、
そうだよなあと思ったり、
ふーんなるほどこういう風に感じながら生きている人もいるのかと思ったり、
これまで知らなかったなぁと思ったり、
それまでの自身の言動を見直してみたり、
マイナスでは無い方向に何かしらを感じてもらえたりしたら良いのかもと思います。

僕のセクシュアリティと生きづらさ

僕は人間です。

それだけではあるんですけど、セクシュアリティに関する何かしらの枠組みに自分を当てはめるなら、ノンバイナリーといえます。
あと僕は自分がトランスジェンダーにも属すると思っています。

生きづらさなんてものはきっと全ての人間が持っているのでしょうが、僕もとても生きづらいです。

僕にとっての生きづらさの原因は大きく二つあるような気がするのですが、そのうちの一つが性自認に関することです。
ノンバイナリーでなければ、自分の生きづらさは単純計算で半分になっていたのでは、とか思うことがあります。

社会との関わり

自分のことを女性でも男性でもないと感じながら生きていると、
社会から自分の存在を否定され続ける生きづらさがあります。

公的な書類への記入やら履歴書やらアンケートやら会員登録情報やら、毎回毎回性別を選ばされるのはうんざりです。

社会的に決められている性別を選ばざるを得ないたびに、
「あなたが今選択した性別は社会的に存在する”あなた”の性別です。”あなた自身”は社会的には存在しません」みたいなことを言われているような気分になります。

僕が大学生で就活をしていた時には、履歴書には性別欄がありました。
書類不備と判断されるのが怖くておとなしく「女」に丸をつけ提出し、
面接では性別のことを下手に説明したら落とされるのではと思い、何も話しませんでした。
でも、そしたら就職してからは女性として振る舞うしかなく、
僕は自分が自分のアイデンティティを否定している感覚に陥り、それが辛くなって退職しました。

スマホで会員登録しようとすると、
性別欄に「男性」「女性」以外の選択肢がなく、未選択で次に進もうとするとエラーになったりするので、嫌になって登録自体をやめたサービスもたくさんあります。

性別欄があったとしても、「その他」があると精神的には少し楽です。
それでも「その他」なので「本来あるべきものから外れた選択肢」感は否めないですけど。
だから不要なものは性別欄自体を削除してくれたら良いのになと思います。
最近は性別欄がないのも増えてきたけど、要らなそうなのに残っているものもまだまだあります。

ていうか運転免許証には性別欄ないのに何でマイナンバーカードにはあるんだよ。無くしてくれよ。
このままだと本人確認書類としてマイナンバーカードは一生出さないからな。

人との関わり

例えば自身がノンバイナリーであると他人に伝えた時に、
「そんな人はいるはずがない」「結局男女どっちなんだ」みたいな反応が返ってくることがあります。

ノンバイナリーの認知度はまだまだ低いです。

でも、知識がない相手にノンバイナリーについて説明するにはかなりのエネルギーが要ります。
特に自分自身のことについて、どんな反応をされるのかわからないまま説明するというのは相当心の準備をしないと難しいです。

相手が知らないもの、想像もしないものに対して、心をすり減らしながら必死に説明したところで、何も伝わらないかもしれないし、
伝わったとしても、こちらには疲労感が残ります。

それなら、わざわざ言いたくはありません。

でも、言わなきゃ伝わらないので言うしかない時もあります。

それでも、
悪意はないのかもしれませんが、「でもあなたは女性でしょう?」みたいなことを言う人がいます。

多くの場合、何も説明しないと、勝手に男女どちらかだと思われます。
だから説明が必要で、嫌々説明をすることによってエネルギーを吸い取られ、
説明したのに伝わらないことにダメージを受け、
最終的にやっぱり男女どちらかであると相手に認定されて心をグシャッとやられるわけです。
相手に悪意がなくてもそうなります。

他人に性別を断定されたくはありませんし、
こちらだけがメンタルに大きなダメージを負うのも不公平です。
だから余計に嫌になります。

生きづらさを考えることについて

疲れている状態の時に自分自身のメンタルに悪影響を及ぼす情報に触れてしまうと回復が遅くなるので、
ここ数ヶ月はニュースを聞いたりネットを見たりするのは出来るだけ避けていたんですが、

それでも全く情報を得ないようにしているのは良くないというか、
今世の中でどんなことが起こっているのか全く知らないというのは怖いことだと思うので、
少しずつ情報を得るために動こうと、数日前にニュースなどを見始めたところでした。

そしたらメンタルに悪影響を及ぼしそうな情報を見つけてしまったのでした。

こうした情報について考えたり感情を動かすということは、
自ら瘡蓋を剥がして傷を抉るようなものであって、

考えるのを放棄したいし感情を停止したくなるけれど、
それを続けてしまうと「私を居ないものとして扱ってください」というメッセージになりかねないし、
そうなることは望んでいません。

別に目立ちたいわけではないですが、
自分自身が存在しているという事実がある以上、存在するものとして扱ってもらいたいと思うわけです。

だから困っているし悩んでいるし嫌になるし、いっそ存在自体しない方が楽なのではとか思うのです。
自然な思考の流れだと思います。

生きることについて

生きるのは疲れます。

でも、
生きるデメリットと、生きるのを自分でやめるデメリットを考えると
後者の方が大きいと僕は思っています。

それに、
生きなきゃいけない明確な理由も分からないけど、
しななきゃいけない明確な理由も無いので、
だとしたら現状維持以外の最善の選択肢は思い浮かびません。

で、どうせ生き続ける(予定)なら、辛いより楽しい方がいいと思います。
そもそも生きるということ自体辛いことだと僕は思っているので、なかなか楽しく生きるというのは難しいですが、

それでも、なんとか頑張って、
少しでも楽しくする方法や、せめて辛さを少しでも和らげる方法を考えなければいけないような気がします。

生きるって大変ですね。

かずき

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