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時間の流れというものはいつでも一定ですが、この社会には暦が存在しているので、どうやらここら辺で一つの区切りが来ます。
僕の身の周りではみんな同じ暦を使っているので、これから数時間後には一斉に新しい年が来ます。
そして、前回からもう1年経ったんだなぁ、早いなぁとか感じるのです。
歳をとるごとに1年が早くなる
1年間に対する体感時間
いつも同じ速さで時間は流れているはずなんです。
でも歳をとると、年々時間が経つのが早く感じるようになります。
赤ちゃんが満年齢で1歳の誕生日を迎えたときには、1年はこれまでの人生の1/1、つまり100%を占めているわけです。
でも10歳の時には、1年は人生の1/10なので10%になります。
20歳の時には5%、40歳になると2.5%。
そう考えると、たしかに体感時間が短くなるのも分かる気がします。
体感時間が変わる要因
でも、人生の長さに対して1年間が占める割合というのは、単なる事実であり計算の結果です。
20歳の時の感覚で過ごす2年間が、10歳の時の1年間の体感時間に該当するかというとそうでもなさそうな感じがします。
しかもそれ計算しようとしても、1年間過ごしたら歳とっちゃうし。
体感時間について真面目に考えようとすると、
単純に数学(算数)的に時間を捉えるのではなく、それまでの経験や置かれる環境などの要因が大きく影響してくるであろうことを考慮しないといけない気がします。
なにやら心理学的な色んなことが関わってきそうな気配がして、かなり難しそうです。
時間の普遍性
人生に対しての1年間という考え方をすると、1年はどんどん短くなっているような感じがしますが、目の前の1秒や1分の感覚はあんまり変わらないように思います。
それはきっと時間の流れ自体は一定だから。
そうやって積み重なった1時間や1ヶ月が重なって出来上がった1年が、なぜかどんどん短くなる感じがするって、いつ考えても謎なんですよね。
こうして時間について考えていると、すごく不思議な感覚になります。
そもそも時間という概念がなければ、体感時間も存在しないんだろうなぁとか、
本当に時間の流れというのは一定なんだろうかとか、
5分前仮説というのを昔聞いたことがあったなぁとか。ちなみに僕はその説めちゃくちゃ好きです。
年末と年始と時間
日付の特別感
日々の時間の流れの中で生活していると、1年という時間の単位を意識するのって、年末年始とか、誕生日とか、記念日とか、その日付に何かしらの特別な意味がある時くらいだと思うんですよね。
そういう日には、1年間を無事に生きて過ごせたことを喜んだり祝ったりしますが、本当は毎日がそれの連続です。
逆に、誕生日や記念日も、いつもと同じように一定の速さの時間の中で過ぎ去っていくだけの単なる1日でもあります。
とはいえ、暦のシステム上そうなっているだけにしても、特に1月1日という日付はなんだか特別な感じがしないでもありません。
特別感と特別な行動
日付に特別な意味がある時には、「特別な日だなぁ」と思うだけではなく、実際に何か特別な行動をしようとしたりします。
1月1日であれば、初日の出を見たり、初詣に行ったり、その他諸々。
時間の流れの中でシステム的に回ってきたその日に対して、日付に意味を持たせて名前をつけて、
更に、その日に何かしらの行動をするということ自体にも、たくさんの人が意味を見出している感じがします。
そういった現象は、とても興味深くて、面白いなと思います。
満年齢と数え歳
元旦で年齢を重ねるという歳の数え方があります。
よく使う満年齢(生まれた時は0歳で、誕生日ごとに歳をとる)に対して、
数え年(生まれた年が1歳で、元旦ごとに歳をとる)がそうですね。
例えば、誕生日から半年後が元旦と仮定します。
満年齢の場合、誕生日から1年後は1歳です。数え年だと2歳になります。
年齢(の数え方)が2倍になってしまうわけです。
12月31日生まれの赤ちゃんは、生まれた日が1歳で、翌日には2歳になっています。
満年齢ではまだ0歳なのに。
2倍どころの話じゃない。0は何倍しても2にはならない。いやそういう問題じゃない。
ちなみに厄年は数え年なので計算しようと思ったことがありますが、性別が分かれていて面倒なので、僕の場合数えても意味のないものです。
まとめ
時間は不可逆的なものなので、良くも悪くも今の積み重ねで人生が出来上がってしまいます。
時間ってなんなんだろう、年齢ってなんなんだろう、生きるってなんなんだろう、とかそんなことを考えてる間にも時間は過ぎていきます。
考えすぎても分からなくなることは分かっているので、とりあえずほどほどにしておこうと思います。
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