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紅白について思うこと

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そろそろ年末ですね。

みなさん年末は何をする派でしょうか。

家でゆっくり過ごす、大掃除をする、残業をさせられる、こたつでミカンを食べる、テレビの特番を見る、特に何もしない、年末だと気づく前に年が明けている、いろんな過ごし方があると思います。

その中でも「紅白歌合戦をみる」というのは、実際の視聴率がどうなのかは知りませんが、大晦日の定番っぽさがありますね。

疑問と歴史

なぜ男女分けなのか?

ところで僕は、紅白歌合戦の組が性別によって分けられていることに、大人になってしばらくしてから気づきました。

気づいた時、正直かなり引きました。
思わず「えっ?」と口に出す程度には驚きました。

去年の紅白に出場した方が、組が男女で分かれていることを知らなかったというエピソードを聞いて、やっぱそうだよねとなんだか安心しました。

ただ、長く続いている番組ですから、きっと初めは画期的だったんだろうとか、何か男女で分ける理由があったんだろうなと思い、ちょっと調べてみました。

紅白歌合戦と時代背景

調べると色々出てくるので、ここではかなり簡単に書きます。

紅白歌合戦が始まったのは1951年です。
この時期の日本は、憲法には男女平等が定められたものの、男尊女卑の風潮が強く、女性の社会的地位は非常に低い状態でした。
今もジェンダー平等とは言い難いですが、当時は、社会における「人間」という言葉は「男性」を指していた状態に近いと思います。

そうした時代に、男女を平等に扱う演出は革新的であり、当時の日本を変化させるためには必要であったのではないでしょうか。

男女分けのままで良いのか?

でも今は令和です。
今この時代に、男女で分けることにどんな意味があるんでしょうか?どんな合理性が?

当初は革新的であったのなら、時代に合わせていつも革新的な番組であってほしいと思います。
そうしないと意味がないし、むしろ番組の価値をどんどん下げてしまうことになると思います。

去年はレインボーフラッグを使った演出もありましたし、今年はロゴがグラデーションになったり、「紅組司会」「白組司会」等ではなく、全員「司会」に統一するなどの動きがあります。
これからどんどん変わってほしいです。

これからの紅白は、一体どうなるんでしょうか。

組分け方法に気づかなかった理由

人を性別で見てないから

さて、僕は1〜2年前まで紅白の組分けが男女であることを知らなかったわけですが、それまでは、抽選か何かで振り分けられてるんだと思っていました。

紅白出場アーティストの一覧を見ても、全く気づきませんでした。

僕には人を性別で分けるという発想がないし、人を性別で判断していないからです。

自分以外の人は普段どういう感覚なのかは知りませんが、
周りを見ていると、人やその名前を見た時に、瞬時に相手の性別を判断するスイッチが入っている人が多そうな感じがします。

僕は、性別を判断しようという意識をしないと、相手の性別について考えることができません。
それに、人の性別というのは、結局本人にしか分かりません。
本人が公言していない状態で、僕が勝手に他人の性別を判断するのは不可能です。

そういう意味では、男女で組を分けていると認識した上でアーティスト一覧を見たとしても、
結局その人たちの性別は分かりません。

性別で分けるなんて想像してなかったから

きっと、紅白が男女分けであることに最近気づいた人たちの多くは、そもそも男女で分けるという発想がなかったんじゃないかと思います。

それに、子ども時代(今も)あれだけ嫌だった男女分けが、年末の風物詩ともいえる公共放送の番組で堂々と行われているなんて思いもしませんでした。

僕は、日常のあらゆる場面で男女分けに直面するたびに、自分の存在は無視されているんだ、否定されているんだと心のどこかで思い続けています。

歌を歌うときに男女で分けるメリットはなんなんでしょう?
惰性で続けているだけなのか、意味があって続けているのか、本当にわかりません。

まとめ

さまざまなものに言えることですが、
続けるべき伝統もあれば、そのまま続けてはいけない伝統もあります。
物事を持続させるには、常にその時の最善を考えながら変化させていくことが重要だと思います。

変わらないことによる失望というのは、喪失感が強いですね。
変化する良さを活かしながら、紅白が続いていけば良いんじゃないかなぁと思います。

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