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一人称と性別について

僕 雑記

僕は子どものころ、自分のことを僕や俺と呼んでいたら、
「女の子なんだから僕じゃないでしょ」「俺は男の子の言葉だよ」みたいなことを言われた記憶があります。
誰が何と言っていたのかは厳密には覚えていませんが、要は「僕」「俺」という一人称を使うことを否定されたのです。

僕の性自認について

そもそも僕は女性ではありません。

既存のカテゴライズに当てはめるならノンバイナリーが一番近い気がする。日本ではXジェンダーといった方が通じやすいかもしれない。
でも、できれば枠に当てはめたくないというか、当てはめてもしっくりきません。

現在の自認

僕自身の感覚としては、女性でも男性でもなく、中性でもなく、「性別が無い」という表現が割としっくりきます。
性別がどっちとかどっちでもないとか、そういう概念すらなく、単に自分のことを人間だと思っています。

なんで世の中は、人間をどちらかの性別に押し込めようとするんだろう。

幼少期の認識

子どものころは、性自認という言葉や概念は知らなかったし、自分が女の子だという強い認識もありませんでした。

周りが「あなたは女の子だよ」と言ってくるから、そして、「大人の言うことは聞きなさい」と言われていたから、その期待通りに女の子として行動していただけ。

自分の中に性別という概念が存在しなかったので、
保育園で男の子と女の子が分かれて列に並ぶときも、持ち物の色分けをされるときも、なぜ分けられているのか、なぜ自分が女の子の側にいるのか、よく分かりませんでした。

でも大人の言うことに従っていれば「いい子」でいられるので、そうしていました。
「いい子」ではなくなるのがとても怖かったからです。

僕の一人称の変遷

「俺」

保育園の友達に、一人称が「俺」の子がいました。
その子の性自認は知りませんが、周囲から女の子とされている側の人間でした。

その表現が気に入ったので、自分も真似して「俺」と言っていました。
すると周りの大人に、その一人称を使うなという趣旨のことを言われました。

僕はいい子でいたかったので、言われた通りにしました。

「僕」

「俺」がダメだと言われたので、次は自分のことを「僕」と呼ぶことにしました。

「僕」もまあまあ気に入っていたのですが、
同級生だったか、大人だったか、女の子なのになんで僕なんだ、それは変だ、と言われました。

そんなことを言われたら「僕」は使えなくなります。

小学3年生くらいのころには、使いたい一人称がなくなってしまいました。
女の子だから「私」にすれば、とも言われましたが、それだけは絶対に嫌でした。

「私」という言葉が嫌いだったわけではありません。
自分のことを特に女の子だとは思っていないのに、わざわざ自分から「私」を使って周囲に女の子だと再認識されるのが我慢できなかったからです。

「うち」

その後は自分の下の名前を使った時期もあった気がしますが、結局は「うち」に落ち着きました。
当時知っている中で一番性別を限定しない表現だと感じたからです。

でも、もはやそれは一人称という感覚ではありませんでした。
自分を指す言葉のはずなのに、自分のことを表しているという感覚にはならなかったのです。

小学校5年生ごろから、まるで三人称のような感覚で自分のことを「うち」と呼んでいました。

ちなみに僕は、このブログやSNSでは僕という一人称を使っていますが、日常生活では未だに「うち」を使っています。

自分が発する自分を指す言葉に、違和感を覚える状態が続いているのです。
気を付けないと、自分が自分であるという感覚が薄れていくような気がします。

まとめ

一人称って、自分が自分を指すための言葉なのに、(周囲が決めた)性別によって制限されてしまうことに納得がいきません。

一人称くらい好きな表現を使わせてくれ。

もちろん別に法律で規制されているわけではないので、好きな表現使ってもいいんですよ。
でも、周囲の人に変な目で見られたり、おかしいと言われたりする可能性があります。
逆に、異常に肯定されたり、珍しい生き物のように扱われたりすることもあり得ます。

周りがどう言おうと悪いことしてないんだからいいじゃないか、というのも分かります。
でもその理屈とは別に、感情の面ではいい気持ちはしないわけです。

誰がどんな一人称を使っていようと、特に驚きも珍しがりもせず、みんなが自然に受け入れ合う世の中になればいいのになあ。

かずき

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